山形・月山が育む山菜

出典:日本経済新聞

 

 山菜といえば、フキノトウなど早春の苦みを楽しむ植物と思う人が多いだろう。実際は夏以降も採れるミズやフキなど300種類以上あるといい、調理法とともに伝承されてきた食文化だ。そう聞いて、山形県西川町にある山菜料理を出す旅館「出羽屋」を訪ねた。

 特別豪雪地帯にある西川町は山菜やキノコの宝庫として知られる。県西の月山の広大なブナ林では落ち葉が堆積した腐葉土が、雨雪をろ過してきれいな水を育み、その栄養分で動植物の営みを支える。雪解けが徐々に進み、芽吹いたばかりのえぐみが少なくみずみずしい山菜が、長い期間にわたって採れる。厳しい冬に飢えをしのぐために、独自の調理や貯蔵の方法も根付いた。また、山岳信仰で出羽三山(月山、羽黒山、湯殿山)を参詣する行者をもてなすため、料理として洗練された。

 出羽屋4代目社長の佐藤治樹さんは「生態系を守りながら山の恵みをいただく、地域の食文化をつなぎたい」と話す。旅館を継ぐために東京の大学で観光や経営を学んでいたが、行者宿から山菜料理旅館へ昇華させた祖父・邦治さんが亡くなり、料理人になろうと決意。料亭修業をしつつ卒業後、調理師専門学校で学び、2012年に帰郷した。

 山菜は市場などでも入手できる。ただ、流通に乗ると鮮度が落ち、アクが回ってしまう。「祖父のように自分も山に入り、また、その日採れた新鮮なものを届けてくれる、地域の人と連携する料理人になりたいと考えたのです」

 5月末、佐藤さんと山菜採り名人の居鶴弥太郎さんと、大きな雪だまりが残る月山の麓を散策した。居鶴さんは出羽屋に山菜を届ける十数人のうちのひとり。「山菜採りは雪追っかけです」と居鶴さん。雪解けの機を見て目当ての場所へ行く。アイコやシオデ、ワラビなどがあちこちに。ちょうど月山筍(がっさんだけ)が採れる時期で、地元の人も来ていた。

 ウルイ、ウド、ナンマイ、ヤマニンジンなど山菜12品の盛り合わせ。山菜とひとくくりにしてしまうが、すがすがしい薫りやシャキッとした歯触り、ぬめりのある感触など、それぞれに個性がある。上品な甘さがあるのはアマドコロ。しかし、味付けはしていない。「ゆがいて水にさらして甘さを最大限に引き上げたら、それ以上することはないと思うのです」。少量の塩や味噌、ショウガは使うが、山の中で歩きながら、または届いたものを生でかじり、日当たりの加減でも違う繊細な風味に合わせて味を添えるだけ、と話す。

 肉や魚も「山のもの」として山菜に含める。この日はマスとヤマメの刺し身のほか、クマ肉を使ったクマ鍋、衣をつけて揚げたクマカツなど。「猟師からクマの命をいただいたので、おいしく召し上がっていただけるよう工夫する。それが料理人にできることです」。クマ鍋の肉はかみ応えもあったが、甘いタマネギやつるんとしたジュンサイと軽くいただいた。一方、カツに使うのはモモ肉。野生で筋肉が発達し硬いが、スジごと下煮することでそのうまみも硬さも口の中で味わいとなって広がる。

 日本では古くから山菜が利用されてきた。各地の縄文遺跡からは山菜類の炭化した遺物などが出土し、「青森ではタラの芽、富山ではコゴミが食されていたと推察されます」と東京家政学院大学名誉教授、江原絢子さんは話す。時代は下り、「斐太後(ひだご)風土記」(1873年編さん)には岐阜県飛驒地方ではワラビ根をくだき、何度も水にさらしてアクを除き、粉にして換金したとの記述がある。「江戸時代の多くの伝統的な技法(アクの除去方法など)は、現在の山菜利用の技法につながっています」

 出羽屋では山菜名人、猟師、漁師から届く山の恵みを全て買い取る。「一緒にやりましょうと、十数年かけて関係性をつくってきました」。先人の教えに、今を生きる人の知恵と工夫も重ねて、未来へつなげる。とてつもなく長く続く食文化に触れた気がした。