みなさんは、「ニンジン」と聞くとオレンジ色のキャロットを想像しませんか?
しかし明治以前の日本では、「ニンジン」というと高麗人参を指していました。薬草の一つとして古くから親しまれていたのです。和名は御種人蔘(オタネニンジン)。
その名の由来は、8代将軍徳川吉宗の命で、種を各地の大名に分け与え栽培を奨励したことによるとか。栽培の難しさから、今では長野県、福島県、島根県でのみ栽培されています。国産の高麗人蔘は希少な存在になってしまいました。そこに、数年前新たに栽培に挑戦しようとする企業が現れたのです。その企業は産業用冷凍機を展開する前川製作所です。
一生懸命な野田さんの取り組みに、「拾う神」が現れました。
なんと高麗人蔘の栽培農家を知人に持つ社員がいたのです。その人の尽力で、佐久市の隣、東御市で3代農業を営む中村さんを紹介してもらうことに。中村さんは、高麗人蔘の他、薬用植物のセンブリや、米、ジャガイモなどを生産している大きな農家です。野田さんは、「ぜひ栽培法を学ばせてください」とお願いしました。
けれど、中村さんの答えは「ダメだね! 生半可な気持ちでは難しいね!」
「1本の人蔘を収穫するまでに、6年が掛かる。最低でも修行に6年は必要」…と。
やっと掴みかけた栽培法を学ぶチャンス。野田さんも、諦めるわけにはいきません。
なんとかお願いし、週の3日間を東御市で過ごし、農家さんと一緒に作業することで栽培を学び、残り2日は朝霧で同じ作業を復習する、これを3年続けることにしました。
「正直言えば、通い始めの頃はイヤになっちゃうこともありました。秋の収穫シーズンから参加することになったのですが、90㎝もある畝(うね)をまたぎ、中腰で丁寧に掘り起こします。残暑厳しい中ではかなりの重労働でした。けれど休憩時間に色々な話を聞かせてもらったり、他の農家さんとも交流したりと、多くのことを学ばせてもらいました。身体的には大変でしたが、楽しく充実した日々でした」と野田さんは振り返ります。
野田さんが3年間の修行で習得した、高麗人蔘の栽培の様子を簡単にご紹介しましょう。まず、高麗人蔘の種は、市販されていません。自家農園で採取した種を、12月にまきます。
高麗人蔘は日陰を好み、直射日光が当たると日焼けを起こしてしまいます。そのため、山から堅く丈夫なアカシアの木を伐りだし、日よけ小屋用の杭を作ります。
雪が降り、土が凍りだす前に、畝(うね)に沿うように打ち付けていきます。杭は生育期間の6年保つように頑丈に作るのです。その後、萱や藁ですだれを作り、日よけ小屋が完成。翌年5月に芽がでたら、葉がグングンと育つ8月までは病虫害対策を。納豆を利用してバチルス菌を培養。天然成分であるバチルス菌で病害の予防を行います。
農薬ではないため効果の持続性がなく、頻繁に散布しなければなりません。8月のお盆を過ぎるころ、葉が枯れだします。
ここで夏の病害対策が終わります。地上の葉は枯れ落ちますが、地下では根が次の季節の準備を進めているのです。
翌年また春になると、新たな茎が伸び元気な葉が茂ります。葉の枯れる晩夏まで、前年同様の病害対策を行います。2年目を迎えた株は、10月に掘り起こします。10㎝程度真っ直ぐに伸びた根だけを選び、畑に植え戻します。
この先4年、太く真っ直ぐな根に成長しそうなエースだけを、大切に育てていくのです。
掘り起こした株の4割程度しか選ばれず、残りの6割は、近隣のスーパーで販売されます。エースは、4年間栽培された後、「6年物の高麗人蔘」として、漢方や栄養ドリンクの原料として流通していきます。
出典:くらしの便り

