ウルシ文化

青森県を代表する伝統工芸「津軽塗」

 津軽塗(つがるぬり)は青森県弘前市を中心に製作販売される青森県を代表する伝統的工芸品です。縄文遺跡からも出土する漆器に見られるように、人類が文明を築いて以来、最も長く利用してきた 植物性原料のひとつにあげられるのが「漆」です。漆器は、日本人の暮らしに欠かすことのできない、大切な日用品であり、芸術品なのです。

ふるさと文化財の森「弘前市有漆林」
ふるさと文化財の森

 平成18年度より文化庁が実施している事業で、文化財建造物などの保存修理に欠かすことの出来ない、木材、檜皮、茅、漆などの植物性資材を安定的に確保するとともに、それに関わる技能者を育成し、またこれらの資材や技能の確保などに関する普及啓発を行うものです。

 文化庁は、資材供給及び技能育成研修の拠点として、全国に「ふるさと文化財の森」を設定しています。

弘前市有漆林

 昭和57年(1982年)から同61年(1986年)にかけて、岩木町(当時)が、林産集落振興条件整備事業(特用樹林造成事業)で漆木を植樹したものです。平成26年(2014年)3月から、弘前市教育委員会の所管となり、下草刈などの維持管理を継続して実施しています。平成26年及び平成30年に試験的に漆液を採取しています。

漆林(新岡付近)

 弘前市大字百沢字東岩木山地内2ヶ所に所在し、面積約4ヘクタールに漆木約1,600本が所在しています。

 平成30年3月23日付けで、青森県ではじめての「ふるさと文化財の森」の設定を受けました。なお、漆では6件目(当時)で、全体で76件目(当時)の設定となります。

漆林(追の沢付近)

津軽藩特産のウルシ

津軽地方の丘陵地帯にはリンゴ畑が広がる。リンゴが導入されたのは明治以降のことであるが、それ以前、弘前藩の数少ない特産物として丘陵などに植え付けが奨励されたのはウルシだった(漆の木はウルシ、樹液は漆と表記する)。

ウルシ栽培の試行錯誤

ウルシは一般的な農作物と違い、生育して樹液が採れるようになるまで10~15年はかかる。加えて、藩による買い上げ価格が安かったため、漆守たちの生産意欲は決して高いとは言えなかった。
 藩が目標とした他領への販売も順調にいかなかった。西国では蝋(ろう)の原料として漆に代わって安価な櫨蝋(はぜろう)の需要が増しており、会津藩や米沢藩といった古くから漆を特産としていた諸藩でも苦戦を強いられていた。
 中央の市場から遠い弘前藩は販路拡大が難しかった。漆守からの買い入れ価格が安いのも、他領に販売する上ではやむを得なかったが、負担増による豪農層の抵抗を招くことになった。
 さらに追い打ちを掛けたのが天保の飢饉(32~38)である。米も採れない状況では漆守たちもウルシを顧みる余裕はなく、さらに飢饉で食糧に事欠いた農民が山を荒らし、多くのウルシが枯死した。
 52(嘉永5)年の藩の調査では、漆山を勝手に杉山や畑に転換した事例や、書面上だけで場所不明になった事例などが上げられていた。漆を他藩に販売するどころか、逆に他藩から購入しなければならない事態になっていた。

その後のウルシ栽培

明治期には安価な外国産の漆が輸入されるようになり、藩からの奨励もなくなったウルシ栽培は急速に衰退していった。漆役たちがウルシを植え付けた漆山(藩政時代は私有地同様に扱うのが認められていた)は地租改正の結果、多くが官有地に編入された。
 旧浪岡町で漆役を勤めた鎌田家は、1904(明治37年)に旧漆山の下げ戻しに成功した。しかし、かつて3万本のウルシを植え付けた山は、200本あまりに減少していた。
 現在、国産の漆の占める割合は3%足らずである(「漆の國浄法寺」ホームページ)。津軽塗を特産とする本県津軽地方でもウルシはほとんど栽培されていなかった。しかし、近年、県の中南地域県民局では漆の安定供給に向けた「うるしの森づくり」の推進に取り組んでいる。また、今年の11月15~17日には弘前市で「漆サミット」が開かれる予定である。
(青森県県民生活文化課県史編さんグループ総括主幹 中野渡一耕)

出典:弘前市 陸奥新報 ふるさとチョイス