学校林の山菜を盗んでいく大人たち

タラノキ70本残らず持ち去られる

 長野県の伊那市立伊那西小学校は、きっと、日本でいちばん森に近い小学校だ。校舎に隣接して学校林があるため、森への「距離」が近いだけでなく、日々の学習や生活にとても親しい。長野県といえば森や高原のイメージがあるけれどすべての学校が森に接しているわけではない。伊那市にある15の小学校の中でも「森の小学校」といえばこの伊那西小学校だ。

— 春の事件 —

 伊那西小学校では一年を通じて学校林の整備に取り組み、森に生きる動植物を見守り、森で学び、森で遊び、森の恵みを収穫して味わう体験をしているという。しかし今春、子どもたちが林間に入ると昨日まで見ていたコシアブラがひとつもない。タラの芽が摘まれて、枝が折れてしまっている。春の訪れへの期待を裏切られた子どもたちや、「タラの木、これじゃ来年は芽を出せないね」と悲しむ子どもたちのことを思うと、この話を聞いただけの私でも心がキュッと痛む。

 盗んだやつ前に出てこい。

— コシアブラ泥棒の自認とは —

 しかし問題は、おそらく「コシアブラやタラの芽を勝手に採った人物は、自分を盗人だと思っていない」ところにある。コシアブラを盗んだ人は、同じ小学校敷地内の畑の作物や、原木シイタケは決して盗まない。勝手に生えているように見える山菜だから盗むのだ。いや「盗んだ」とは思っていない。

 そうだ、あれだ、秋になると銀杏の実を拾う人のメカニズムだ。盗んでいるのではない、ただ拾っているだけ。だから罪悪感なんてない。まさか、自分の行動が子どもや教職員を悲しませているとは思っていない。だって、拾っているだけなんだから。

— 学校林は誰のもの? —

 学校林とは何のためにあるのだろう。そして誰のものだろう。

 学校林とは、小学校、中学校、高等学校等において、学校の基本財産形成や児童・生徒への環境に関する教育、体験活動を目的に、学校が保有している森林をいいます。

— 知識や能力がない大人がもたらすもの —

 コシアブラ泥棒が地域の大人か、地域外の大人が、はたまた児童の親や家族なのか、その正体はわからない。森の守である子どもたちからは「監視カメラを付けてはどうか」という声や、休日に車で乗りつけて行った車を見たという声も上がっているらしい。子どもたちが失望すること、そしてこんな事案が続いた後に、いつか開かれていた森や学校の門戸を閉じなくてはならない流れになったらさらに悲しい。悲しいというか、大人全体として恥ずかしい。リテラシーの敗北だ。

 まじで腹立つな。

 
出典:note