出典:福島市観光ノート
フルーツ王国ふくしまを支える「桃」。中でも7月〜8月の暑い時期に収穫する「あかつき」は作付面積も多く、消費者に圧倒的な人気の「エース桃」だ。今では全国区となったあかつきだが、ある致命的な欠点を抱えており開発は難航を極めた・・・
「桃」というと、みなさんはどんな桃を思い浮かべるだろうか?
多くの人は、果肉のやわらかい『白桃』のような桃だろう。
しかし、福島県民にとっての「桃」とは、『あかつき』という品種に代表される果肉の硬い桃だ。なぜなら、『あかつき』は福島で生まれたという歴史的背景があるからだ。
昭和27年、農林省果樹試験場で、“白桃”と“白鳳”が交配された。この新しい品種の桃には『れ-13』という個体番号がつけられ、昭和35年には、12県の桃の生産地で調査研究が行われた。福島県もそのひとつだった。
福島県の園芸試験場(現在の果樹研究所)に植えられた『れ-13』の苗木に初めて実がついたのは、昭和37年。
育成にかかわっている担当職員たちは、果実を試食して驚いた。
「黒砂糖のようなコクのある甘みの中に適度な酸味が感じられ、それまでの桃とは比べものにならないほどの美味しさだった。女性のきめ細かい肌のような皮、キラリとした光沢のある果肉、着色の美しさ…と見た目も申し分なかった」
しかし、ただ、ひとつ、欠点があった。
それは…果実が小さい。
通常、桃は5キロのダンボールに18〜20個並ぶことを前提として作られている。
重さにすると250〜280グラム。しかし『れ-13』は、25〜28個を並べなければ5キロのダンボールが満たされない。重さにして180〜200グラム。出荷ができたとしても安い値がつけられてしまうし、需要もないだろう。そう考えられていた。
園芸試験場の職員たちは、摘果や剪定法を改善したり、肥料を変えるなど、さまざまな試みを行い、大きくしようと日夜 研究した。が、どうしても200グラムは超えなかった。他の12の県も同様だった。
こうした努力は11年間にわたって行われたが、昭和46年、とうとう『れ-13』の調査研究は打ち切りとなり、国の予算もおりなくなった。
「大きくすることなんて、全く考えてませんでした。当時『白鳳』をメインに作っていたのですが、生産者にとっては作りづらい品種だったんです。とても柔らかく、畑で収穫して車に積み込むまでの20〜30メートルの距離を運ぶだけで傷んでしまい、3分の1は加工用に回っていました。だから、とにかく他の品種の桃を作ってみたかったんですよ」
周知のとおり、『あかつき』は果実が硬い。のちの『あかつき』となる『れ-13』なら育てやすいのではないか?生産者の勘だった。
そして、鈴木さんは、それまで、きゅうりを作っていた畑に『れ-13』を植えた。
「初めての挑戦に失敗はつきもの。実がならないのは当然だという覚悟で、おもいきった摘果をして育てた」と語る鈴木さん。
「桃栗三年・・・」というように、鈴木さんの畑でも3年目に、実をつけた。
その実は、200グラムを優に超えていた。
一番驚いたのは、原田さんだ。11年もの長い間、試行錯誤を繰り返しても、大きくならなかった『れ-13』が、若手の桃農家がたった3年で大きくしてしまったのである。
しかし『れ-13』は、そもそも着色がよく、果肉も硬い品種。
従来の桃の作り方とは違い、たっぷりの肥料を与えて作る品種だったのだ。これは、のちに分かったことである。
その後も、福島県内のあちこちで『れ-13』の試作が行われ、多くの畑で200グラムを超える実が安定して収穫できることが確認された。
「福島といえば、桃」。他県の人から見ると、そういったイメージは強い。これは、間違いなく『あかつき』によるものだろう。
かつて桃は果肉が柔らかいため、出荷や流通の作業に特別な注意が必要だった。しかし、果肉が硬く日持ちする『あかつき』の誕生によって、首都圏や宮城県、北海道など東日本を中心に、福島の桃が広く流通することが可能になり、大きな経済効果をもたらした。一度食べたら、その味・食感に驚き、リピーターになるファンも多いという。
福島の桃は、『あかつき』なくして語れないのだ。