篠原信一さん 農家転身で見えた「思いやる心」

出典:スポーツ報知

 

こだわりの有機農法で作物を育てている

 2012年ロンドン五輪で柔道男子代表の監督を務めた篠原信一さん(51)が取材に応じ、五輪史上初となる金メダル「0」の憂き目にあった当時を回顧した。4年前にブルーベリー農家に転身。農作物の生育者と、日の丸を背負う選手の育成者を経験し気づいたのは、一歩引いて微に入り細に入り成長を促す「思いやる心」だった。

 世界の強豪を相手に最前線で戦う青畳から退いて12年。篠原さんはいま、北アルプスを望む風光明媚(めいび)な長野・安曇野で農業を営んでいる。農家に転身して4年目。当初から丹精込めて育てている作物はブルーベリーだ。畑1反(10アール=約300坪)を5反に区分けし、数十品種、約1800本を栽培。今月下旬から8月の収穫に向け、篠原さんの農園の実は、この時期は未成熟な緑色から次第に濃い赤紫色に変わる頃だ。

 2年前には畑9反分、桃の栽培も始め、幹の一本一本の「個性」をより感じるようになったという。代表コーチ未経験のまま託された監督時代は「強くなりたければ自分で追い込んでやれ」と自身の現役時代の練習を踏襲した。指揮したロンドン五輪は「史上初めて金メダルを逃した監督」と評価され、つらい思いをした。12年前には持てなかった「個性に合わせて育てる」という考え方が身にしみる。

 「選手が木ならメダルは実でしょうか。木がしっかりしていないと大きな実はつかない。僕は山しか見ていませんでした。木を見て山を見られる僕がいたら」。

 当時を振り返った時にふとそんな思いがよぎる。

 当時住んでいた奈良県の自宅で家庭菜園を始めた。趣味が高じて20年に移住した安曇野で、有機栽培にこだわったブルーベリー農園をスタート。歳月をかけて腐葉土に変わるウッドチップをまいた畑を作り、苗を植えた。井戸水を引き、受粉のためにレンタルで養蜂も始めた。

 「人の成長しかり、過程が大事だと。まっすぐ向き合うことで個性も分かってくる。選手にだってけがや体調、それぞれの事情がある。監督時代にそういうメンタルが僕にあれば。いまさらながらにそう思うことはあります」

 16年リオデジャネイロ五輪で篠原ジャパンを引き継いだ井上康生氏が男子柔道を復活させた。史上初めて全7階級でメダル(金2、銀1、銅4)を獲得。21年東京は73キロ級・大野将平の2連覇や、66キロ級・阿部一二三など5階級を制覇。金メダル獲得数で史上最多記録を塗り替えた。日本柔道界では慣例だった全体主義的な「量」を求める練習の仕方を見直した。自主性を持たせて、さらにどう伸ばすか。井上氏の指導メソッド「熱意」「誠意」「創意」に、篠原さんは感銘を受けた。気配り、目配せが常に求められる農作物の生育にも似ていたからだ。

 「リオ五輪で大野が金メダルを取った時に出た、あの康生のガッツポーズ。あれが本当の監督の思いなんですよね」。手塩にかけて育てたブルーベリーの木に大きな実がつくと篠原さんも心の中で会心のガッツポーズを作っている。

 豊作の年もあれば不作の年もある。「良いも悪いも次につながっていく」と、篠原さんは言う。今夏のパリ五輪で男子柔道代表を指揮する鈴木桂治氏に期待している。「例えて言うなら駅伝のたすきリレーですかね。篠原がロンドン五輪という名の1区で足を引っ張って、花の2区で井上康生が巻き返し、そしてパリで桂治が康生から受け継いだタスキをかけてつなげていく―。そういう思いで安曇野からパリで戦う選手たちを応援したいです」