精魂込めて宿灘かぼちゃを作り続ける

出典:飛騨高山

 

試行錯誤を重ねて高山の特産品へ。

 一見、ヘチマの実のようだが、それよりもすべすべして縦縞模様がうっすらと入っている。両手で持ち上げてみると、ずっしりとした手応えを感じた。若林定夫さんは、この存在感たっぷりの宿儲(すくな)かぽちゃの生産者。丹生川地区の仲間と共に、20年以上も前からこの栽培に勤しんできた。

「丹生川がまだ丹生川村*だった平成12(2000) 年、当時の村長がトマトやほうれん草にこだわらず、何か新しいものを作らんかと提案されて出荷組合で研究することになったんやさ。わらびとか候補がいろいろある中で、かぽちゃに手を上げたのがうちを入れて4人。近所の人が自家用に作ったかぼちゃの形が面白くて食べると甘みがあって美味かったもんだから、そこから形質の良いものを3系統選んで、4人で1ha作付けしたんやさ。それが『宿催(すくな)かぼちゃ研究会(以下、研究会)』の起こりです。あの頃はまだ名前も無くて、『あのかぽちゃ』と呼んでおったけどね。」

「形質が代々受け継がれてきた在来種やもんで、種自体がなかなか安定しない。どんどん変わって丸いかぽちゃができたこともあったんや。それで平成14(2002)年に研究会を設立すると、まずは種子の採取に取り組みました。種苗会社にも依頼して3年ほどかけて種を固定し、今の種ができたんやさ。試行錯誤しとる中で、「あのかぽちゃ』を野菜の直売所に売った人がおった。そのときの売値は200円。たくさん売れたが、その額では儲けにならんで誰も作りたいと言う者がおらなんだやさ。」

 とはいえ、若林さんは研究会の会長として簡単に匙を投げるわけにはいかない。自身が花餅(枯枝に紅白の餅をつけた正月用の装飾)を卸している大手スーパーのパイヤーに掛け合い、店頭に並べてもらえるよう取り付けた。

 「4本10kgほど出荷してみたら2000円の売値がついた。驚いたね。作った分の大半を仕入れてくれて、面白いほど儲かったんやわ。その話が地域中に広まって、『うちでも作りたい』つていう農家からの問い合わせがJAに殺到したんやな。最初は4人だった生産者が、一気に92人にまで増えました。」

「両面宿儺(すくな)は日本書紀の仁徳天皇の条に登場する、飛騨に現れた神様なんやさ。背丈は3mほともあって両面に顔を持ち、手足は4本ずつある奇怪な姿なんやけど、丹生川では農耕技術を広めた指導者として親しまれ、1600年以上経った今も地元では知らん人はおらん。長かぼちゃ、ひょうたんかぼちゃっていう案もあったんやけど、宿儺(すくな)さまのように親しまれてほしいと願いを込めて『宿儺(すくな)かぼちゃ』になったという経緯があります。」

「四方を3000m級の山々に囲まれた標高600~700mの盆地やもんで、昼間は暑く夜は涼しい。野菜の甘みを引き出す上で寒暖差はありがたいんやけど、隣接する長野と比べたら降水量が倍。宿儺(すくな)かぼちゃは細胞壁が極端に薄くて、口当たりが良い分、腐りやすい。雨があんまり多いと良くないんやさ。優良な形質を持った親を掛け合わせて作るF1種のように病気に強くないもんやから、いつ消えるかわからんかぽちゃやという気持ちでずーっとやってきた。高山は日本の中でも特異な土地やで、ここで栽培した野菜はもっと評価されてもいいと思うんや。」

 東京の著名レストランのお墨付きもあり、宿儺(すくな)かぼちゃのペーストはすでに全国区へ。生産者はピーク時より減ったが、丹生川を中心に150人が栽培に携わっている。

「俺たちしか作れん。」

 そんな自負のもと、若林さんは今年も収穫で忙しい夏を過ごす。