出典:Ssumifru
現在、日本人が最も食べる果物「バナナ」は、明治・大正時代めったに食べられない高嶺の花でしたが、日本が日清戦争後に台湾を統治するようになり、日本との貿易が盛んになるにつれ、台湾産バナナも商品として入荷するようになったことで、大正後半~昭和に入った頃から消費者が食べることができるようになりました。それでも、お土産や病気の時などにしか食べられない特別な果物でした。
1972年にいち早く「高地栽培バナナ」に着手。前人未踏の標高500~700mの「高地農園」は、低地農園とは大きく異なり、農園場所の選定・開拓、道路整備から始まり、水道設備や選果場整備、労働人材確保など、様々なインフラ整備に大変な労力と時間を要しました。さらに、バナナは熱帯作物であることから、朝の気温が低くなる高地で栽培をするうえで、土壌の特性を見極めていく以外に耐寒性・耐病性・生産性等についても様々な研究をしました。
高地では収穫作業も一苦労。収穫するバナナ(全房)は約35~50kgにもなり、収穫スタッフが1房ずつ丁寧に収穫し、収穫専用の棚にバナナを載せて輸送用のトラックまで運び、選果場へ。そして選果場で水洗い~箱詰めまで行い、平地にある積出港へトラックで輸送し、バナナ専用船で約5日間かけて日本に向けて運ばれています。
熟成するのも、ゆっくり。日本に到着後、バナナは未熟の青い状態から黄色く追熟する果物ですが、中身がぎっしり詰まっているので、ここでも低地のバナナよりも時間をかけて、じっくり追熟させます。
当時、台湾バナナは戦前からの長い歴史とそのおいしさから親しまれ、価格も他のバナナより高かったのですが、栽培地台湾では毎年夏にやってくる台風の影響で、年間を通した日本への供給が難しく、春から初夏まで限定の季節商材になっていました。一方、スミフル当時の「高地栽培バナナ」の生産量はまだまだ少なく、日本の全輸入量の3%程度で希少価値のある「幻の美味しいバナナ」とバナナ通の間では知られ、百貨店や高級スーパー、果物専門店で「最高級バナナ」として販売。
2006年4月には満を持して「甘熟王(かんじゅくおう)」ブランドを立ち上げました。
甘熟王バナナの黄色く熟した皮を剥くと、甘い香りとともに黄色い果肉が美味しさを醸し出す。ひと口ほおばると、粘りのある食感。とろけるような甘さは、まるで甘い蜜。一度食べたら、低地栽培のバナナは食べられなくなる⁉というくらい、濃厚で満足感がある。
「美味しさ」にこだわり続け、2006年6月にスタンダードな「高地栽培バナナ」よりも更に 約1ヶ月長く生育にかかる標高800m以上の“超高地農園”での栽培も開始。2014年5月には、「一番、美味しい!」を追求し、超高地農園で肥沃な土壌のみを限定した“ゴールドエリア”で畑ごとに詳細な土壌分析を行い、マグネシウム・チッソ・リン酸・カリウムなどのミネラルバランスを整え、有機質肥料を中心に施肥しながら、健康的な土壌を保つ、“ミネラル栽培”を実践。熟成加工においても甘熟王の技術&さらに手間暇かけることで誕生した甘熟王を超える、超高地ミネラル栽培バナナ「甘熟王ゴールドプレミアム」は「もっちり、濃蜜な甘さ」を味わえる、極上の美味しさとなりました。