出典:山と茶
水窪の名物「栃餅」
水窪までたどり着くには少々根気がいる。浜松市天竜区二俣から車で40分。天竜川沿いのくねくねと折れ曲がった山道を走ることになる。バスは1日1便のみ。人口は2000人ほどで、山深い山間地域に暮らしている。高齢化率ももうすぐ60%を超えるというが、幼稚園から中学校まであり、約100人ほどが通っているそうだ。しかしながら、人口はどんどん減少しており、少子高齢化の問題に直面している。
長野県と愛知県をつなぐJR飯田線が水窪にも通っており、1〜2時間に一本、電車が走る。そんな水窪にも商店街があるが、営業している店舗は数えるほどしかない。そんなシャッター街に突然、木のぬくもりを感じる新しい店が見えてくる。それが「小松屋製菓」だった。
創業は1926年。初代店主の祖父の時代に開業した。当時は砂糖が貴重だったため、闇市から砂糖を買ってきて営業をはじめ、のちに駄菓子屋をはじめたという。林業で栄えていた頃は、他にも店舗を持ち、昼は喫茶店、夜は立ち飲みの店も営業していたそうだ。
二代目となる父の時代には、おまんじゅうやケーキを作りはじめた。今では名物となった「栃餅」をお土産にと父が開発し、40年ほど前から売りはじめた。
栗に似た栃の実は、栃の木から採れる。この辺りの山に数多く自生しており、栃の実を食べるという食文化は、この土地に昔から根づいていたという。昔から正月には一般家庭でも栃餅が作られていたそうだ。静岡県内でも、おそらく水窪だけでしか食べられていない栃餅だが、長野県の食文化が伝わっているからではないか、と小松さんは言う。
旧水窪町の“町の木”は栃の木、“町の花”が百合の花だった。その昔、父は、百合根を使った百合羊羹を作っていたこともある。ほかにも地元の産品である椎茸を使った羊羹もあったそうで、「極力地元のものを使いたいという思いから、ほかにはない商品が生まれたんじゃないか。椎茸をよく羊羹に入れようと思ったな、と思いますが(笑)、いまだに百合羊羹はありますか?と聞かれることがあるので、いつか復活したい」と裕勤さんは話してくれた。
いまも昔ながらのやり方で、栃の実を加工する。栃の実を拾い、硬い硬い皮を剥いて、何度もアクを取り、食べられるようにするまでにはとても時間がかかる。そんな手作業の中で裕勤さんは、アク抜きの際に大量に泡が出ることを発見。その天然の界面活性剤ともいわれる「サポニン」を使って石鹸ができないかと考えている。
「捨てるのが嫌なんですよね。こんだけ苦労して剥いたんだから、皮も生かしてやりたいなと。作業しているとびっくりするほど泡が出て、肌がつるつるになるから、きっと石鹸にできるんじゃないかなって」
そうやってユニークで新しいアイデアが生まれるのも、父とどこか通じているように思えた。ここでしかできないことは何なのか? 何ができるのか?を考え抜いた結果、その土地ならではのものが生まれるのだ。
それまでは「地域に愛されるお店」ということだけで商売が成り立っていた。けれど、いまはインターネットを通じて、地域を飛び越えて日本中、いや
世界中にもアピールができる時代。この場所をどうやって知ってもらい、人びとをどうやって呼び込むのか。裕勤さんは、もっと広い視野で勝負を挑もうとしている。