京丹後で独自の自然農法「自然耕房あおき」

出典:食らし旅

 

時間をかけてたどり着いた独自の自然農法

 勉強する中で自然農法の難しさを痛感していた頃、川原の刈り草を敷き詰めたところへ放っておいた青梗菜(ちんげんさい)の苗が、白菜のような大きさに育ち、葉っぱは柔らかく、甘く、何とも言えない美味しさだったそうです。伸一さんは驚きと同時にピンと来ました。自然農法につながる大きなヒントを得たのです。

 また、土地開発のために大量に出た広葉樹のウッドチップを知り合いのつてで譲り受け、畑に運び入れ積み上げました。彼なりに考えた上で、土作りのためにしたことでしたが、それは当時の有機栽培の常識からは大きく外れていました。時々指導に来られていたある大学の先生からは、「こんなことしていたら30年経っても野菜なんかできない」と叱られたこともあったそうです。

 ところが、しばらく経つとそのウッドチップの山には放線菌(有機物の分解力に優れた細菌)が張りめぐり、チップは見事に分解され、栄養豊かな土壌へと変化していきました。それは土の中の小さな生き物や微生物たちのなせる技でした。

 その後も順風満帆とは全く言えない状況でしたが、徐々に無農薬、無施肥でおいしい野菜が育つようになり、経営も安定し、自然農法の先駆者として、全国から年間三百人もの生産者や消費者が彼の畑の視察に訪れるようにもなっていました。

夫が人生をかけた畑を手放してはいけない…美恵さんの思い

 夫が亡くなった時、周りの人も彼女自身も農業を辞める事しか考えていなかったと言います。でも野菜は成長を止めてはくれません。「どんな野菜でも買い取る」と言ってくれるお得意先もあり、とりあえず出荷を続けました。

 夫のやることをずっと見てきたとは言え、農業には全く素人の彼女を農法の面で支えてくれる支援者も現れ、また夫に任せっきりだった経営面でも相談できる人もできました。そんな中で美恵さんは、そういう周りの人たちが共通して持っていた「この畑を手放してはもったいない!」という思いの本質に気づきました。

「夫が作り上げた畑には多くの微生物が生きている。この生命の循環を断ち切ってはいけない。次世代に継いでいかなければならない!」

 そこで初めて、「やれるところまでやってみよう。後悔はしたくない。」と腹をくくることができました。

女性メンバーを中心とした株式会社を設立

 毎日が手探りの状態で必死に過ごしていく中、少しずつ、でも大きな流れが押し寄せてきて形になりました。伸一さんの死から一年後、彼の思い、そして美恵さんの思いに賛同する人たちが集まり、自然耕房あおきは女性を中心としたメンバーで株式会社として再スタートを切ることになりました。

 それから3年、これまで通り、自然農法で少量多品種の栽培を続けながら、オーガニック野菜に女性の視点やアイディアをプラスした商品を打ち出し、その販路を大きく広げています。

 作業所の前の無人販売から売り始めた安心安全な野菜は、地元の人たちだけではなく、首都圏の消費者にもその価値を認めてもらえるようになってきたのです。

畑を身近に感じる体験プログラムも開催

 伸一さんが始められたユニークなイベント、それが『畑のレストラン』。自然耕房あおきの野菜のファンである消費者に畑に来ていただき、畑の中にしつらえたテーブルで、採れたての野菜を味わってもらうというものです。2002年に始めて2019年まで、毎夏一度も欠かすことなく続けられています。

 畑という特別な空間で野菜料理をいただくことで、生産者と消費者の距離がぐっと近くなります。最近はこういうイベントも増えてきたようですが、18年前には珍しい取り組みだったと思います。

 こういうところにも、伸一さんのアイディアマンぶりが伺えます。

 畑を見学して土に触れ、収穫し、料理をして試食する内容で、あおきの理念と野菜の美味しさを直に感じていただける体験です。英語が堪能なスタッフもおられるので、海外からのお客様にも体験していただけるようになっています。