再び:無農薬無肥料「奇跡のリンゴ」を生んだ自然栽培農家、木村秋則さんの半生

 

12.jpg 「農薬で作る」といわれるほど病害虫が多いリンゴ。無農薬、無肥料でのリンゴ栽培は「奇跡」と称される。だが、あくまで自然栽培にこだわり、国内で初めて成功させた生産者がいる。「リンゴ王国」青森県弘前市のリンゴ農家、木村秋則さん(59)。収入のない日々、奇人、変人扱いされながらも数々の苦難を乗り越え、今では自然農法の第一人者として国内外で指導している。

 昭和63年5月、岩木山麓(さんろく)に広がる88アールのリンゴ畑一面に真っ白なリンゴの花が咲き乱れた。無農薬、無肥料栽培を始めて11年目のことだった。

 「天にも登るような気分でした。それまでの苦労が一瞬で吹っ飛びました」

 木村さんは苦難の日々を述懐する。

 農薬散布と肥料が常識とされるリンゴ栽培で、不可能を可能にした栽培方法を確立したことについて、弘前大農学生命科学部の杉山修一教授は「恐らく世界でも初めてではないか。すごいことだと思う」と驚きを隠さない。

 「常識的にやったことがないので学問的にも遠いところにある」(杉山教授)ため、いまだに無農薬、無肥料栽培の科学的なメカニズムは解明されておらず、農水省や同大などが現在も調査を続けている。

 青森県と同様、リンゴ栽培が盛んな長野県。同県は農薬使用量の削減率によって優良農業者を認定する制度を設けているが、園芸畜産課の担当者も「全く使わないというのは非常に難しい」としながらも「参考になる部分はあるが、大量生産で商品化となると難しい面もある」。

 杉山教授も「非常にリスクの高い農法。よっぽどリンゴに理解のある人じゃないと無理」と言う。

 事実、木村さんのリンゴは市場に出回っておらず、ごく一部の有名レストランや希望者に注文に応じて対応している。

 また、木村さんのリンゴは切り口が酸化せず、糖度も一般のリンゴに比べても高いという。「酸化や糖度も無農薬、無肥料と関係があるのかどうか…」と杉山教授。木村さんのリンゴは解明しなければならない多くの謎に包まれている。

■奇跡の舞台裏

 木村さんが無農薬、無肥料栽培に目覚めたのは1冊の本が契機だった。

 地元の高校を卒業後、川崎市内の会社に就職したが、1年半で退職。郷里に戻って実家のリンゴ農家を継いだが、なじめない日を重ねる。農作業のなかったある日、たまたま入った本屋で「自然農法論」という本を手にし無肥料、無農薬でコメを作った実績に強い衝撃を受けた。

 そのころ、最愛の妻は農薬過敏症に悩まされていた。

 「体にも環境にもやさしい無肥料、無農薬のリンゴは作れないだろうか」

 自らのリンゴ作りに光明が差した瞬間だった。

 53年4月、無農薬、無肥料栽培を開始したがリンゴ畑に花は全く咲かず、病害虫との終わりのない闘いが続く。

 無収入の上、変人扱いされる日々。天気のいい月夜の晩、自殺しようと岩木山に登り、ロープを木にかけたが、短くて用を足さなかった。しばらくたたずんでいると足元のドングリの木がリンゴの木に見えた。

 しゃがんで土のにおいをかいでみると、自分のリンゴ畑と全く違う土のにおいが漂ってきた。見上げれば樹木は堂々と茂り、根っこも抜けなかった。

 「大事なのは土の中だ!」

 ターゲットを「根張り」に絞った。畑に大豆をまいて根粒がどうなるかを調べた。リンゴの樹勢はどんどん良くなっていった。62年、1本の「ふじ」の木から7個の花が咲いた。5個は害虫に食われたが、2個を秋に収穫した。

 ついにリンゴ栽培の常識を覆す無農薬、無肥料のリンゴの果実が実った瞬間だった。

 「農薬の過度使用が病害虫を呼んでいるのかもしれません」と木村さんは言う。

 今では国内はもとより海外でも野菜、コメなどの自然農法栽培の指導に忙しい毎日を送る。

 「環境にやさしい農業を次の世代に伝えることが私の役目かな」

 笑顔に深くて重いシワが刻まれた。(福田徳行)

 

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