カラスムギ

 

 原産地はヨーロッパから西アジアにかけての地域。日本では史前帰化植物として存在し、春から初夏にかけての野草として見られる。また、野生種のカラスムギを栽培化した穀物がエンバクである、といわれている。
 植物の名称に「カラス」や「イヌ」と付けるのは、それが人間の食用には適さない植物であるという見方によることが多く、このカラスムギもその1つである。しかし実際は食用に適しており、欧州や中東では栽培化以前にも野生種が利用されていた。日本では麦自体が広まったためにカラスムギまで利用する必要がなかったとされる。但し飢饉の際は稀に食された。稲作以前は採集食物として、また原始的栽培食物として利用されていた可能性もある。
 野生のカラスムギの穎果を覆う穎には屈曲した長い芒(のぎ)があり、穂から脱落するとこの芒が乾湿運動によって屈曲点を軸に回転を繰り返す。この回転運動によって穎果は土壌に押し込まれ、発芽に有利な位置に置かれる。
 
縄文最古のムギはカラスムギか(2000.9.13)

 六年前に青森市三内丸山遺跡の縄文前期(五千五百年前)の泥炭層から出土し、「縄文最古のムギ」と注目を集めたイネ科植物(一粒)は、カラスムギの可能性が高いことが、横浜市立大の辻本壽助教授(遺伝進化学)の分析で分かった。カラスムギはイネ科の雑草の一種で、オオムギ、コムギなど栽培化されたムギ類と共生するのが特徴。イネ科植物の伝播(ぱ)に詳しい静岡大農学部の佐藤洋一郎助教授(植物遺伝学)は「(五千年以上前の時点で)イネ類、マメ類などの栽培植物が三内丸山に存在したことを強く示唆する貴重な資料」と指摘。札幌国際大の吉崎昌一教授(考古植物学)は「縄文前期の段階でオオムギ、コムギが大陸から日本列島に渡っていたことを視野に入れる必要が出てきた」している。縄文遺跡からのカラスムギの出土は初めてで、イネ科植物としては最古級の確認例。

 カラスムギの可能性が高いイネ科植物は平成六年に、沖館川に面する遺跡の北側斜面から出土。県教委三内丸山遺跡対策室から依頼を受けた植物学の専門家が分析し、「原始的なムギ」に類似している-との結果が出ていた。

 種類をさらに特定するため、ムギの研究で知られる辻本助教授が今年七月から調査を開始。一カ月以上にわたって分析したところ、「形態などから、カラスムギかそれに近いイネ科の雑草と考えられる」との結論に達した。カラスムギは食用にも使えるが、辻本助教授はわずか一粒という出土状況から「人間が食べ残したというよりは、野生状態のものから種がこぼれ落ちたのではないか」としている。

 カラスムギは西アジア原産で、オオムギやエンマコムギなど栽培用のムギ畑に雑草として生えていることが多い。世界各地への伝播の過程で栽培化したのが、現在飼料などに使われているエンバク(燕麦)だ。

 佐藤助教授はカラスムギがコムギ、オオムギなどの栽培植物に伴う点に注目。「栽培植物の存在を指摘する傍証といえるのではないか。三内丸山の時代にすでに、オオムギやコムギが存在した可能性を考慮する必要がある。非常に興味深い」としている。

 縄文時代の穀物を研究する吉崎教授は、「カラスムギ」の精密な年代測定の必要性を指摘とした上で「オオムギ、コムギが縄文前期(六千-五千年前)に大陸から日本列島に渡っていた可能性を考える必要がある。個人的には、栽培植物は早期(九千-六千年前)の段階で日本列島に入っていた可能性があると考えている。今後は、そうしたことを考慮に入れた研究が必要だろう」と話している。

 全国的にみて、縄文期のムギ類の出土例は少ない上に精度が低く、あっても後期以降(四千年前-)が大半。それだけに、「栽培植物の傍証となる」(佐藤助教授)三内丸山の「カラスムギ」が持つ考古、植物学的な意味は大きく、今後の調査でオオムギもしくはコムギが出土すれば、国内最古となる。

 また、大陸から日本列島への栽培植物の伝播ルートを見直す必要性も出てきた。三内丸山が本州の最北端に位置するためで、佐藤助教授は「栽培植物がこれまで言われてきたように朝鮮半島経由のほかに、大陸の北回りで入って来た可能性があることも考えなくてはいけない」と話している。

 辻本助教授の調査結果は二十四日に弘大で開かれる日本育種学会の公開シンポジウム「三内丸山遺跡と日本の食文化を支える作物」で発表される。

※写真はカラスムギの可能性が高い三内丸山遺跡出土のイネ科植物(右)
【参照先不明】