拙庭のタラノメ

 

 タラノメ。言わずと知れた山菜の王様。山はもうすぐ採取の季節だ。
山より一足早く、拙庭のタラノメがのびてきた。それを見ながら道を通る人もいる。ビルを背景にしたタラノメはどう見てもミスマッチ。

15年ほど前、山に入って一日中さがし回り、たくさん収穫したことがある。しかしその後はさっぱり見つからなくなった。タラノキを見つけても無惨な姿になって枯れかかっているものばかり。ハリギリも見つけて採ったことがあるが、その後これも枯れてしまった。コシアブラでさえまともに枝葉を伸ばしていくのは至難のようだ。もっとも、私の場合は林道を歩くだけだから、藪を漕いで探し回るようなプロの山菜採りとは次元のちがう、素人そのものである。

採れなくても食べたい。売っているものはほとんどがふかし栽培もので、路地のタラノキから採ったものは高い。こうなると、自庭にタラノキを植えるほかはないという結論になった。

伐採跡の山の斜面にはたくさんのタラノキの幼木が生えていることがある。これは人が植えたのではなく、種が自然に発芽したものだ。その小さな幼木を掘って庭に植えた。4年前のこと。

その後、人の通らない道を歩いていて、気づきにくいところにトゲのないタラノキが生えているのを見つけた。メダラという。ちょうど花を開いた夏のことだ。トゲのあるオダラよりメダラの芽のほうが美味しい。この花が種になったころにまた来て種を少しもらっていこうと、楽しみにしてその時期を待った。
秋になってその場所にやって来ると、メダラが影も形もなくなっていた。場所を間違えたのではない。誰かが根こそぎ掘り取ってしまっていたのだ。私は驚き呆れ、しばらく茫然としていたものである。タラノキは根を切って土に埋めるだけで芽が出てくるのだ。

12.jpg貴重な野生植物を山採りするのはいけないこと。それには私も同感だ。私が山から採ってきたのは2本の小さなタラノキだけで、それもそこら中に生えていたものだ。仮に全部を掘り取ったとしても、絶滅するような植物ではない。それらは大きくなる前に、芽を採られ尽くして枯れていく運命にある。仮にそうであっても採ってはならない、という考えもあるだろう。
しかし世の中には危惧種保護の思想を一顧だにしない人々がいる。絶滅危惧種であれ何であれ、いいものを見つけしだい根こそぎ掘り取っていく人々がいる。国立公園の監視員ならいざ知らず、山でそういう現場を見つけて注意すれば、どういう目に合うか分かったものではない。

その後ホムセンでトゲなしタラノキが売られているのを見つけ、私は躊躇することなく購入した。それをトゲのあるものの隣に植えたのである。

2年たつとだいぶ大きくなり、タラノメが居ながらにして収穫できた。山で見つけるものよりずっと大きく、まずは天ぷらにして賞味した。くらべるとやはりトゲなしのほうが美味しい。
たくさんのタラノメを収穫するには枝数を増やすことだ。幹を切ると複数の芽が出て枝が増える。
タラノメの「ふかし栽培」というものを出窓で2シーズンやってみた。芽のあるところの少し上を斜めに切った穂木をつくり、パーライトに水を含ませて挿しておくのだが、芽は出てもすぐに小さな葉を開いてしまい、あのタラノメにはならなかった。
ふかし栽培にはそれに適した品種があるそうだ。「新駒」というトゲのない品種である。野生のタラノキでやっても頂芽以外は利用できないという。栽培農家は薬剤や肥料も使うからあのような売り物につくることができる。素人が真似をしてみても、できることには限界があり、うまくいかないものと知った。

トゲのあるタラノキは大きくなり、根がどんどん広がっていった。そしてその根から芽が出始めた。やがてタラノキの新芽があちこちの地面から顔を出した。地面に割れ目ができたかと思うと、そこから芽が出てくるのである。毎日毎日、モグラ叩きのように芽をカマで切り取っていったが、根はお隣にものびていき、お隣の庭にも芽が出始めた。
私はしだいにそら恐ろしくなり、一昨年の秋、ついにオダラを抜いてしまった。根は深く広く張っているので、大仕事になった。

残したのは購入したトゲなしタラノキである。夏には葉柄を大きく広げて庭の日照を遮ってしまう。これも根から芽を出すが、オダラほど旺盛ではない。
この木が去年の夏にやっと花穂をつけた。そしてこの花が甘い汁を出し始めた。するとまず黒いアブラムシが大量に発生した。蟻が集まり、ハエが集まり、アブラムシを狙ってテントウムシの幼虫がたくさん発生した。そして危険なスズメバチが飛び交うようになった。
お隣にはかわいい孫娘がいて、よく庭で遊んでいるから、刺されでもしたら大変である。
NHKの「問題解決!ご近所の底力」でスズメバチをテーマにしていたのを思い出し、それを参考にしてペットボトルの「ハチとり器」をつくったら、10日ほどたって8匹捕獲できた。全数捕獲、一網打尽である。誰も刺されなかったのが不思議なくらい。そうして種ができる前に花穂を切り取ってしまった。
ヨトウガはこのタラノキの葉裏にもびっしりと卵を産みつける。毎日のようにチェックしないと庭中がヨトウムシでいっぱいになる恐れがある。ひとつの木がたくさんの小動物を養っているというが、タラノキでさえ例外ではないようだ。

写真のタラノキは2メートルほどに伸びたもの。
このトゲなしタラノキも今年の秋には撤去することに決めた。採れるところまでタラノメを収穫し、枝を切り、幹を切り、そして切り株を掘り取ることにした。花壇に植えているからいろいろ邪魔になるし、何より拙庭の日照を確保したいからだ。バラも始めたことだし。

花穂を切り取った跡が残っていて新芽の生長の妨げになっている。それでタラノメがいつもより小さい。それとも、切り倒すことに決めたことをタラノキが察知し、いじけて小さな芽にしてしまったのだろうか。
私は一木一草にも魂があると思うようになっている。そう考えるとつじつまの合う話が多い。トンデモ本の読み過ぎなのだろうか。

それにしてもタラノキの生命力は何と強靱なことか。これも条件が整わないことにはその生命力を発揮することはできない。山野にあっては競争相手も多いのでこのようにはいかない。何より人間が片っ端から芽を摘んでしまう。
この木は生長も早いので、うまく育てたら大きな木になる。しかし私が広い庭を持っていたとしても、これを植えるのは少し怖い。人の来ない日当たりのよい裏山がそばにあったら、是が非でもトゲなしタラノキを植えたいものだ。

今晩はこのタラノメと一坪菜園のアシタバ、春菊、ミツバで天ぷらをした。拙庭のものだけでまかなえるとは何と贅沢なことか。

 

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